先送りに最適化された民主主義
今日のニュースを見渡すと、関税をめぐる動きが目立つ。とりわけインドに関する関税緩和の報道に対し、市場は即座に反応し、株価は上昇した。政治的な意図や建前がどう語られるかに先立って、市場は「どちらの方向が合理的か」を判断し、価格という形で答えを出した。この反応は、人口増加と成長余地を持つ国に対して、経済を抑制するよりも活用するほうが構造的に合理的であることを、現在進行形で示している。
人口増加局面にある社会では、経済全体を意図的に冷やす政策は、為政者や政府当局にとって合理性を持ちにくい。人口増加は内需の拡大、雇用の創出、税収の増加を同時にもたらすため、成長を妨げる政策は政治的リターンよりもコストが大きくなりやすい。その結果、政策は「抑制」ではなく「誘導」に向かう。市場全体のダイナミズムを否定する選択は、国内政治的にも国際政治的にも取りにくい。
一方で、日本のように人口減少と高齢化が進む社会では、まったく異なる力学が働く。ここでは、成長によって分配の総量を増やすよりも、既存の取り分をどのように維持し、どのように配分するかが政治の中心課題になる。民主制という仕組みのもとでは、現在生きている有権者の選好が意思決定を支配し、子どもや未出生世代の利益は制度的に代表されない。その結果、為政者や政治家、政府当局が自覚しているかどうかにかかわらず、政策は構造的に「未来を選ばない方向」へと収束していく。
ここで言う「抑制」とは、財政支出を削減するという意味ではない。成長や構造改革を回避し、社会の変化そのものを止めるという意味での抑制である。現金給付や補助金といったばらまきは、一見すると拡張的に見えるが、実際には将来の変化を凍結し、現在の均衡を固定するための手段として機能している。
この対応は、暴動や急激な支持率低下を防ぎ、急落やショックを先送りするという意味では有効である。社会が一気に不安定化することは避けられ、市場のパニックも抑えられる。政治的には最も摩擦が少なく、短期的に管理しやすい状態を維持できる。言い換えれば、現在の主要政党が、今後も統治機構の中心に居座り続けるために最適化された政策でもある。
もちろん、政党にとって生き残ることには強いインセンティブがある。政治家がそれを明示的に口にするかどうかとは無関係に、次の選挙で負けないこと、支持基盤を失わないこと、統治の正当性を保ち続けることは、組織として合理的な目標だ。ばらまきは成長政策ではないが、不満を臨界点まで高めず、体制を維持するという点では、きわめて有効な防御策になる。
しかし同時に、この政策選択は別の事実を明確に露呈させる。それは、政策が未来ではなく、現在だけを向いているという点である。ばらまきは問題を解決しない。問題を凍結し、時間を買っているだけだ。人口減少、生産性停滞、財政制約といった根本条件は何も変わらないまま、将来に先送りされる。その過程で、社会には「成長しても報われにくい」「変えないほうが合理的だ」という学習が蓄積され、労働・投資・起業・技術革新の期待値が同時に低下していく。
為政者や政府当局自身も、自由に政策を選んでいるようで、実際には強い制約の下に置かれている。市場のシグナル、選挙で可視化される支持構造、世論、業界団体からの要請。これらに囲まれた環境では、理想的に正しい政策よりも、最も摩擦が少なく、短期的に合理的で、政治的に実行可能な政策が選ばれやすい。外から見ると不可解に映る判断も、内側から見れば体制を維持するための現実的な選択になる。だからこそ、この構造の全体像は、当事者であるほど見えにくい。
人口減少傾向が始まった社会が民主制という機構を採用している場合、未来が選ばれなくなるのは偶然ではない。子どもや未出生世代は投票権を持たず、意思決定に参加できない。責任を負う主体と決定を行う主体が制度的に分離されている以上、長期的に破滅的な帰結へ収束する構造を内蔵していると考えるほうが自然である。これは単なる限界や制約ではなく、制度の根本的な欠陥である。
それにもかかわらず民主制が選ばれ続けてきたのは、それが社会全体にとって最善だったからではない。**公権力を維持し、反乱や急激な正統性争いを最小化するうえで、きわめて都合のよい統治装置だったからにすぎない。**公教育や正統な物語は、この欠陥を欠陥として認識させないための役割を果たしてきた。
そして、摩擦を最小化し、崩壊を先送りし続けた先の終着点では、必ず何らかの大きな清算が発生する。民主制は不均衡を分散し、補填し、曖昧化することには長けているが、消去することはできない。未処理の不均衡は時間とともに蓄積され、最後にはまとめて帳尻が合わされる。それは派手な破滅として現れるとは限らない。多くの場合、静かに、誰が責任を取ったのか分からないまま進行する。だがそれは破滅ではなく、長年先送りされてきたコストの決算処理である。
現在を守るために、未来を差し出す。 この時間軸の選択こそが、人口減少社会と民主制が組み合わさったときに現れる、本質的な帰結である。